この大会は世界最高峰のトレイルランニングレースUTMB®(ウルトラトレイル・ドゥ・モンブラン)が認定するワールドシリーズの一つ。2021年の新体制発足から新しい大会が次々に生まれている。本大会も初開催だ。出場したのはメルカントール国立公園の山間の村RoubionからNiceまで南下する総距離111km、累積標高差5490mのNice 100Kだ。悪天候に見舞われながらも完走した大会の様子をレポートする。
曇天の中、大混乱のレーススタート
午前二時に宿泊先のホステルを出発した。レースに備えて早めに就寝したものの、ルームメイトが窓を開けたせいで蚊が部屋に侵入して全く寝付けなかった。その晩20匹以上蚊を潰した。睡眠不足に不安を抱えながらシャトルバスの発着地点Esplanade de Tassignyへ向かう。どこからか選手が続々と現れて同じ方向に向かって歩いていく。深夜まで酒を飲んでいた若者が、「何が始まるんだろう」と我々を奇妙な目で見ている。発着地点では簡単な登録のチェックがあり、バスに乗り込む。緊張からデジタルをカメラをバスに落とした。この大会のために買ったコンパクトカメラだ。危ない。バスはRoubionに向かって出発する。スタート地点まで1時間弱。緊張と興奮を抱えたランナーを乗せて、バスは寝静まったNiceを抜けて山道を進む。
スタートの2日前だっただろうか。運営から防寒キットの装備について連絡が届いていた。キットにはニット帽、防水手袋、防水のロングパンツなどが含まれる。私のバッグはSalomonの12ℓだが、これだけの衣類を詰めたら、もうぱんぱんだ。「どうやってパッキングしたのだろう」と思うほどコンパクトなバッグのランナーもいる。フランスの大会で厳密な荷物のチェックなんて受けたことがないので、ルールを無視しているランナーもいるだろう。バスは高速を降りてうねるヘアピンカーブを何度も登ってから停車した。村には弱い雨が降っていた。
仮設テントの下で前日に購入していたヨーグルトや果物を食べるてからドロップバッグをデポする。スタート地点に向かうと石造の集落に雨を逃れてランナーが密集している。小さな教会に入ると、そこも待機場所になっていた。こんな鮨詰め状態の教会は見たことがない。スタートまで体温を下げないよう、スペースを見つけて時間が経つのを待つ。スタート40分前に携帯にメッセージが入った。同時に選手たちからため息が漏れる。シャトルバスの運行がうまくいかず、予定よりも選手の運送に時間がかかっているため、スタートを30分遅らせるということだ。確かに大型バスが何台も山道を上り下りするというのは大変だろう。
6時半。雨が降る中号砲が鳴り、704名のランナーが一斉に走り出す。ようやく始まったと思いきや、村を出てすぐにトレイルの入り口で早速渋滞になり出鼻をくじかれる。「今度はなんだ?」「またスタートが遅れるのか?」と声が上がるが、ランナーはゆっくりと、トレイルに吸い込まれていく。トレイルの入り口は一人が通れるくらいの狭さだ。雨で足元も滑りやすくなっていえうし、無茶をすると危ない。しばらく人の流れにペースを合わせた。小さな山間の村Roureに入ると濡れた石畳で足を滑らせた選手を見た。嫌な転び方をしていたので、彼はおそらくリタイアしただろう。他人事ではない。
コースは川が流れる第1エイドSt.Sauveurまで降りてから最初の山場Valdebloreへ向かってぐんぐんと標高をあげる。St.Sauveurまではほとんどスピードを出すことができず、周りに合わせてペースを抑えてくだだった。トレイルが狭く、追い越しは危険だ。
バラエティに富んだテクニカルなトレイル
第2関門の19km地点Valdebore La Colmianeには制限時間の1時間前、9時半に着いた。1時間しか貯金がないのは心許ない。麓から何回も折り返すヘアピンカーブの樹林帯を上り標高を上げる。単調な上りは単純労働のようでメンタルも疲れる。時々立ち止まって行動食を取るなど気を紛らわせる。
樹林帯を抜けるとようやく視界が開ける。霧で先は見えづらく勾配はかなりきつい。森の中ではしっかりしていたトレイルは、山頂の牧草地に入るとぐずぐずになっていた。靴の裏に泥が付着して重く、グリップはほとんど機能しない。「スケートをしているみたいだ」という声も聞こえてきた。トレイルから外れて草を踏む、少しでも乾いている地面踏むなど進みやすい方法を探る。どこが正規のトレイルかわかりにくく、足場の悪い斜面を登る。やっと山頂を超えて下り始めても、滑ることが怖くて思うようにスピードを出せない。何度か足を滑らせて転倒したが、泥まみれになっただけで済んだ。
38km地点のエイドCol de Fournèsに着くとスタッフから「具合はどうだ」と体調の確認があった。コンディションの悪い中なので、厳しいランナーはここでリタイアさせたいのだろう。このコースで最も高い山を登り終え、エイドで休むランナーからも安堵の表情が見える。比較的遅いグループだったからか、これまでぬるい飲み物しかエイドで飲めなかったが、ここでは温かいコーヒーを飲むことができた。お腹が温められて自然と隣のランナーとも会話が弾む。ここでレース中盤に向けて体力・気力ともにチャージできた。この先は20km以上の下りが続く。心理的にも気持ちは大分ラクだ。
48kmのUtelleまでの山腹のトレイルは、砂利の路面でコンディションがよくスピードを出して走ることができた。視界が開けたとても気持ちの良い道なので、天気がよければ素晴らしい景色が望めたはずだ。日が傾くにつれて、足取りが重くなるランナーが増えてきた。歩きたい気持ちをぐっと抑えながら、「彼らのペースにつられたらきっとゴールできない」と自分に言い聞かせて、しっかり下りと平坦な道は走ることを心がけた。
レースは後半戦。ナイトランへ突入
曇りがちの天気も手伝って、視界に入ったUtelleの村は空に浮いた島のようだった。山の突端に石造りの小さな家が集まっている、文字通りの集落だ。到着は17時すぎ。ランナーが見えると、地元のお母さんたちが大歓声で迎えてくれる。エイドで何か食べ物をと、近づくと「何が欲しい? チョコレート? 温かい飲み物?」とまだ決めきれていないのに矢継ぎ早に世話を焼いてくれる。こうした地元の方々とのやりとりも楽しい。簡単な補給とトイレを済ませて出発。同じペースで来ていた中国人の男性ランナーに軽く挨拶をしてさらに10kmの下りを進む。
ドロップバッグを受け取れる60km地点のLevensに到着した頃には、すっかりあたりは暗くなっていた。早く到着したランナーはウェアやシューズを交換して休んでいる。私は遅いグループだったので、到着した時点でスタッフが「このエイドは1時間以内に閉まります」という非情なアナウンスを聞くことになる。少し睡眠を取りたかったがその時間はないようだ。迷ったがシャワーを浴びることにした。夜になって気温が下がり、エイドで休んでいると体が冷えてきたのだ。至福の温かいシャワーは浴びてすぐにTシャツと靴下を履き替える。初めての100kmトレイルだったのでシューズの交換は思いつかなかったが、ほとんどの選手が交換していた。靴下の交換は失敗だった。ここまで膝や足裏などほとんどダメージがなかったのに、デカトロンの靴下に交換したことで、後半足の裏の皮膚がずれてかなり痛かった。
シャワーに時間を使ってしまったので、残りの時間でドロップバッグに入れた食べ物を急いで食べる。楽しみにしていたスモークサーモン、甘酒、ヨーグルト。食べ合わせを気にする余裕もない。休憩しているランナーも減ってきて、いよいよエイドが閉まる時間が近づいてきたので、重い腰をあげて再びドロップバッグを預ける。再び標高1300mまでの登りだ。
暗闇の戦い。夜明けまでに疲労はピークへ
登りは走らなくてもよいからラクだ。私は登りでは早歩きで進みながら体力を回復するように努めている。体を温めながら普通の登山よりも早いペースで標高を上げていく。ナイトランは嫌いではない。景色を楽しむという要素が減るが、その分前に進むことだけに集中できる。とはいえこのコースは走りやすい、歩きやすいとは言えなかった。まず、目印のリボンが統一されておらず2種類混ざっていた。そのため一時ロストしたかと思い近くにいたランナーと「合ってるよね?」 と確認しながら進んだ。
また狭いトレイルが多かったため、先頭を走るランナーが渋滞を引き起こしたり、グループで参加している自分よりペースの遅いランナーがいると、追い越すことができない。中には強引に割り込むランナーもいたが、路面は昼間と変わらずぐちゃぐちゃでスリッピーだ。我慢する時間が長く、「抜かしていいですか?」と声を掛けるのをためらったりと、かなりフラストレーションが溜まった時間帯だ。この大会では「お先にどうぞ」と自ら譲ってくれるランナーは少なかった。
Levensを出てから、夜が開けるまでは、疲れていたのか断片的な記憶しか残っていない。Niceの街が見渡せる丘の上でスタッフがリタイアするランナーのためにお湯を沸かしていた。村へ降りるロードで道を間違えていたランナーに「そっちじゃない、こっちだよ」と声をかけた。森の中の下りで若いアジア系の男性ランナーと早いペースで走り「いいね!」と声をかけられ、途中の村までかけっこのように走った。アクセントの強いフランス語ではっきり何を言っているかよく分からなかった。それは84kmのTourette Levensのエイド付近のはずだ。
エイドでは米かパスタが食べられるとあったので、「お米はどんなふうに食べられるのか?」というやりとりをスタッフにした。ふりかけのようなものを期待した質問だったが、提供されるのはただ茹でたお米だった。エイドにランナーはまばらにしかいなかったので、かなり後ろのほうだということは分かっていたが、気持ちは全く折れていない。
青空のNiceへ。111kmの旅のフィナーレ
夜明け前にまだ日が差し込まない森の奥で完全な暗闇の中にいたことも覚えている。フランス人の女性ランナーと先頭の譲り合いした。一時先に走っていたが、苦手な下りで彼女に追い越された。
森から出るとようやく日が昇り、幹線道路沿いを走っていた。街に近づいているが、まだゴールまで20kmある。91km地点Drapのエイドに到着した時には眠気がピークだった。エイドのスタッフが歓迎してくれたが、椅子に座って少し目を瞑った。心配してくれたスタッフが「まだいけそう?」と声をかけてくれた。もちろん。ここまで来てリタイアはありえない。コーヒーをもらって眠気を振り払う。
出発前に昼間に何度か声を掛け合ったアルゼンチンの女性ランナー、ガブリエラが入ってきた。彼女も私に気づいて声をかけてくれた「先に行っていると思っていたよ」「途中でかなり参ってリタイアしかけたけど、ここまで来たよ」またあとで、と言って先にエイドを出て、しばらくロードをとぼとぼ走る。ゴールが見えてきたからか歩いているランナーも少なくない。とはいえペースを人には委ねられない。なにせ下りでかなり時間を使ってしまうのだから。
Niceに近づくにつれて、日が昇り気温が上がってきた。青空の下で走るのは気持ちが良い。日の光を浴びて輝く地中海も見えてきた。写真を撮影する元気も戻ってきた。途中英国在住の香港のランナーと一緒に走っていた。UTMFにも参加したこともあるという彼はまだまだ余裕そうだった。上りや平面では私の方が早かったが、下りが多くなるととてもスピードをキープできない。「苦手だから先に行って」と前を通した。彼は日本語で「しょうがないなぁ〜」と行って先に行ってしまった。こんな後方にいないのでもっと早く走れたのでは? と思いつつ自分のレースを続ける。
8時に最後のエイドPlateau Saint Michelに着いた。100km地点だ。Nice 20Kに参加しているランナーが走っていて大会の活気を感じる。彼らの顔にはレースの充実感がみなぎっている。我々とはやや対照的だ。エイドのスイカで水分を充分に補給する。レースはもう終盤だ。Niceのプール付きの高級住宅街、緑の公園、海へ降る細い階段。夜が明ける前とは打って変わって華やかなコースだ。
ガブリエラが追いついて声をかけてくれた。「もう少しだね。ゴールの写真のために綺麗なTシャツに着替えたよ」なるほど。確かに最後の写真は大切だ。私も道路に座り込んでどろどろの防水パンツを脱いだ。暑かったがシェルは着たままにした。
細長い階段を降りて海岸に降りる。波が強く、しぶきを飛ばしている。観光客も遊歩道を歩いていた。港を抜けて街中を声援を受けながら走った。みんなが自分を応援してくれるゴール付近は、長距離を走っていてもっとも笑顔になれる。「merci!」と返事をしながら、声援に背中を押されて足を動かす。後半一緒に走ってきたウクライナのナターシャに追いついて声をかける「最後だよ、走ろう」。目抜き通りPromenade des Anglaisを駆け抜けゴールのアーチをくぐり、ナターシャとガブリエラと一緒に喜びをわかちあった。24日の早朝に宿を出て6時半にスタートしたこの旅を28時間35分かけて、ようやく終えた。
111km、28時間を振り返る
ナターシャと完走後の昼食をとった後、ぼろぼろの足取りでホステルへ帰った。眠気と疲労を背負って、どうにかしてホステルへ戻った。あの華やかなNiceの街を泥だらけの格好で歩いていたので、さぞかし目立ったことだろう。
レースの結果は704人出走、棄権が225人、完走者が479人。完走率は約70%。今回は天候に対応できなかったランナーは苦しかっただろう。エイドで棄権する選手は、寒そうで生気がなくとても気の毒だった。泥々の路面やごつごつしたガレ場も多く、私も何度も滑ったし石に足の先をぶつけて痛めた。下りが怖かったのでかなりタイムをロスした。走力はもちろんだが装備を含めたトータルで準備を試されたレースだったと思う。
個人的には、100kmオーバーのトレランの大会は初参加だったので出走前は完走できるか不安だった。それでもゴールできたのは、悪天候の中動く心構えができていたこと、何度か100km以上のハイキングの経験を積んでいたことにあると思う。具体的には雪の中でのSaintéLyon78km、この大会の準備としてコルシカ島でGR20(180km,獲得標高差12000m)を歩いたことだ。実際、上りでヘタれずに歩いてそれ以外のトレイルで走る力を残しておけば十分完走できるコース設定になっていたと思う。エイドでは毎回きちんと休んでいたし、Levensではのんびりシャワーまで浴びている。
ワイルドなメルカントール国立公園の景色を見ることができなかったのはやや残念だが、それも自然の中で遊ぶスポーツの醍醐味。苦しい時間を乗り越えて、美しいNiceでゴールの感動を他のランナーと分かち合えたことが、心に残ったレースだった。
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