2024年7月にスペインのVal d’Aranを舞台に開催されたVal d’Aran by UTMBに参加してきました。真夏のような天気の中スタートした100マイルレースVDAでしたが、夕暮れとともに雲行きが怪しくなり……?? 天候の変化に翻弄されながらも、ピレネー山脈・アラン谷でのレースを全力で楽しみました。動画と記事で、大会を振り返ります。
暗闇の中、予想していなかったゴールシーン
レース出場を決めてから、何度も見たゴールシーン。この大会のゴールゲートには鐘が吊るされており、辿り着いたランナーが思い思いに鐘を鳴らす。レースによってゴールの演出はさまざまだが、この大会の鐘を鳴らすのを楽しみにこのアラン谷にやってきたのだ。レース中断が発表され、バスでVielhaに着いたのは朝の5時頃。ゲートは暗く、くたびれたランナーが静かに宿へ向かって帰っていった。
スペイン・ピレネー山脈のAran谷を舞台に繰り広げられるトレイルランニングの祭典、Val d’Aran by UTMB。他のUTMBWorld seriesと違い、“Majors”という特別なカテゴリーのこの大会は、通常大会の2倍のランニングストーンが獲得できる。そのため、世界中からランナーがこの谷の中心地Vielhaに集まる。かくいう私も2024年のUTMBの抽選に漏れてから、この大会にエントリーした。狙うのはもちろん100mailesのTorn dera Val d’Aran(VDA)、完走すれば一気に8ポイント獲得できる。安いIntercitéの切符を買って、電車とバスを乗り継いで、半日かけてパリからやってきたのであった。
大会のイメージビデオでは、壮大なピレネーの景色が強調されているが、このレースは2023年もトップレベルの選手が「今まで経験したことのない」と言うほどの嵐に見舞われ中止となっている。何人かのランナーが残してくれた動画でその様子を見たが恐ろしかった。まさか2年連続で中止になるこてゃないだろうと楽観視していたが、スタート当日の午前中に大会運営から「コース変更のお知らせ」が届く。この時点で、天候の悪化が危惧されていた。
VDAのランナーは7月5日、16:00にVielhaをスタートした。この時期のヨーロッパの日没は22:00近くだ。午後のこの時間は一番暑い時間帯なのだが、山に囲まれた盆地になっているせいかとても暑かった。Vielhaを出てすぐにGausacという隣村まで登り、2000m近くまで標高を上げるのだがとにかく暑い。水場を見つけては帽子や腕を水に浸したり、頭から被ったりして体温の上昇を抑えていた。
この暑さがどこまで続くか心配だったが、標高を上げていくと気温が下がり気持ちの良いくらいに落ち着いた。10kmくらいまでは登りっぱなしだったが、とにかく天気は良い。尾根まで上がった景色も最高だった。この先にどんな景色が待っているのかわくわくしながら、ゆっくり登り、マイペースにレースを楽しんでいた。
日本から来たランナーとも何人か話をする機会があった。母国語で話ができるのはやはり嬉しい。100マイルレースは一般の方々には理解しがたいかもしれないが、単に辛い経験をするマゾヒズムではない。私にとっては個人参加のサポート付き、駆け足ハイキングツアーみたいな旅行の一種だ。スピードを競う競争でもなく、とにかく怪我なく楽しむことが第一、なのだ。
順調に第一エイドBassa d’Olesを通過し、渓谷を降りて川沿いを下る。Joeu川沿いは冷えた天然のクーラーのように冷気を放ち、とても気持ちがいい。対岸に渡り川を遡る散策路を進むのだが、水量の豊富な上流は迫力満点。水場や素晴らしい滝もあり、麓の景色も楽しんだ。
この渓谷の遊歩道を登り切ると、次は2500m近くまでの“登山”が始まる。その前に第二エイドArtiga de Linで準備を整える。まだ体力気力は充実しており、周辺にはまだ大勢のランナーがいた。早いグループではないが、ちょうど真ん中くらいの順位はキープしていたと思う。山脈はフランスとスペインを隔てている。そのピークの一つがTuc dera Escaleta当面の目的地だ。登りは遅いほうだが、山登りのペースで少しづつ体を持ち上げていく。
何度か休憩をしているうちに日が落ちてきたので、動画用のカメラをしまってヘッドライトを装着した。雪解け水で足元はぬかるんでいる。ピーク近くには雪が残っていた。尾根に取り付く前に二人のスタッフに「大丈夫かい?」と声をかけられた。まだ、2つ目のピーク。笑いながら大丈夫です、と返事をして尾根まで上がる。まだまだアップダウンのある道でスピードは出せない。
時々遠くでフラッシュのような光が見えた。尾根に着いたから皆写真を撮っているのかな、そう思っていたが、遠くで雷鳴が聞こえる。反対のフランス側の谷で雷雲が光っていたのだ。音はまだ遠いが、ここからトレイルはしばらく尾根道を北上する。雷雲の動きに正面から突っ込むようなルートになっていた。尾根に取り着いたのは、24:00を回った頃。そこから十数分で天候が一変した。ポツポツと降り始めた雨はすぐに叩きつけるような大粒になる。尾根に出るまでは暑かったので、レインジャケットを一枚だけ着た。風が強くなり、雷が近づいてきた。さっきよりも、すぐ近くで音が鳴り閃光が走る。
尾根の途中にあるPoilanerは水分補給だけのエイドだ。ビブスのスキャンをした時に「防水バンツの着用を!」と指示が出た。確かにこのタイミングで着た方がよさそうだ。他のランナーも強風で飛ばされそうになりながら、装備を整える。私はここに来た時点で、これ以上進むことに恐怖を覚えていた。エイドのスタッフも本部とトランシーバーで慌ただしく通信をしている。明らかに継続の可否を審議しているようだった。一人のスタッフに声をかけて聞いてみたが、「中止の可能性はあるが、ここでは判断できないから次のエイドで確認を」ということだった。
あまりにも近くで雷が光っているので、中止になるならここで待っていたかった。この嵐もしばらくすれば通過するかもしれない。判断できず、このエイドで十数分待機していた。来る前は暑いと感じていたが、急な天候の変化で体温が低下してきた。私と同様のランナーがエイドに溜まってきたからだろう、スタッフがランナーにスペイン語と英語で話始める。
「雨は降り続くが、谷を降りれば雷は大丈夫だ。ここで待っていても、体温が下がって危険だ。谷を降りてください」
実際、何人かスタンバイしていたスタッフも自分たちの安全を確保するためだろう。テントの中に入って、業務を停止していた。彼の一言で、判断ができた。確かにこの状況で助けを待つのは得策ではない。体力があるうちに自力で下山するしかない。よし、行こう。そう思ってエイドを飛び出した。少し待機していたせいで、ランナーはまばらになっていた。視界が悪い中で先行するランナーがいないのは心細い。雨で路面はスリッピーになっていているうえ、強風で体は煽られる。なるべく低姿勢で谷から離れて動くように心がけた。人間を吹き飛ばすくらいの強風は山ならありうる。谷に落ちたら助からないだろう。何度か悪天候のために、山で怖い思いをしたことはあったが、ここまでひどい嵐は初めてだ。ゆっくり動いていても、体が冷えて寒く震えていた。
あるランナーは、ビバークキットを取り出していたし、女性のランナーは降りで滑って転んだ時に今にも泣きそうな顔をしていた。「草の上を踏むと、滑りにくいよ」と声をかけつつ、自分のことで精一杯だった。この状況では目の前で何か起きても何もできそうもない。下山中に二組のレスキューが登っていくのを見た。トレイルは尾根から牧草地になり、嵐は治った。雷雲の外に出たのだろう。森林に入り、濁流のトレイルを降っていく。5月のAlsaceもずっとこんな道だった。本当に天気運はよくない。下りなのにスピードを出せずかなり時間がかかったが、ロードに出る手前のエイドに3:00頃に降りてきた。
女性スタッフに声をかけられて、「ランプを消して。レースは終わりました」と静かに言われた。驚きはなく、「そうでしょうね」と答えてテントの中で着替え、休んだ。標高が1300mくらいまで下がったので、寒さは感じない。つい数時間前の体験を反芻しながら無事にここまで来れたことに安堵していた。このエイドのスタッフは全員ランナーに気を配ってくれた。しばらくしてバスが到着。ランナーを満員になるまで詰め込んでVielhaまで出発した。
現場は混乱しており、スタッフからきちんとした説明がなかった。バスがどこへ行くのかも隣り合わせたフランス人に聞いたし、ドロップバッグがどうなるかもよく分からなかった。Vielhaのウルトラヴィレッジで、暗いゴールゲートを見て「あぁ、これを鳴らしたかったなぁ」と思いながら、温かいパスタを食べた。何人かのランナーは、ホテルを取っていないのか、ヴィレッジで寝ていた。宿についても興奮していたのかなかなか眠りにつくことができなかった。
EXP-VDAの出走へ
大会中止とともにアナウンスされた32kmのレースEXP-VDA。メールを受け取った時には、疲れていたせいか翌日の朝スタートだと勘違いしていて、ドロップバッグもないし、装備もドロドロ。出れるわけないやろ、とやる気をなくしていたのだが、宿の近くのレストランでワインと美味しいステーキを食べていた時にメールを読み返すと開催は日曜日の朝だということがわかった。しかも、完走者にはポイントも付与されるということだ。ここまで来て、42kmだけ走って帰るわけにはいかない。予定通りVDA完走時の8ポイントを獲得できるのだ。
EXP-VDAのスタートは感動的だった。直接多くのランナーと言葉を交わしたわけではない。でも、あの嵐の中、山を降りて無事に帰ってこれたある種の連帯感のようなものを感じた。トレイルで見た顔がちらほら。旧友に再会したような不思議な感覚だった。VDAのスタートと同じく、UTMBのスタートと同じく「Conquest of Paradise」が流れ、290人のランナーがハイペースでスタートから飛び出した。それはそうだ、100マイル走る必要はない。“たった”32kmのスピードレースだ。早く走るのが苦手な私は、後方からいつもどおりのペースを維持した。余程のことがない限り完走できないレースじゃない。嵐で楽しめなかった分、自然の中で走れることを精一杯楽しみたかった。
コースは北側の山道を使って隣村のArtiesまで行ってから、南側の山道を2200mのピークまで登ってVielhaまで戻ってくるというもの。少し標高を上げてから見下ろす村もよかったし、エイドステーションや集落で声援を送ってくれる地元の方々がとにかく明るくて、こちらまで楽しくなってくる。「頑張れ頑張れ」「いいペースだよ!」「ジャパーン!!」思い思いの気持ちをぶつけてくれて、パワーをもらえる。
VDAで出会ったランナーとの再会も嬉しい出来事だった。中間地点のArtiesでは、VDA中止後に乗ったVielhaまでのバスで隣席になったブルターニュ出身のフランスランナーと会い、ほとんど同じペースでピークのTuc de Meddiaまで登った。第三エイドのSantet Escunhaまでのトレイルでは、日本から来た方に声をかけていただいた。「怖かったですね」と二人であの夜の体験を振り返った。彼は、低体温症になりかけたし、突風で数m飛ばされたと言っていた。本当に、事故が起きてもおかしくない状況だったのだ。山登りになってから、天気も良く美しい山の景色が広がっていた。初日の疲れで足は痛いけど、来てよかった。登りでペースダウンしたので、その方とは別れてしまったが、この山からの眺めは絶景だった。
ピークに至ると、残りは下山するだけだ。適度にスピードを出しながら、1000mを一気に駆け降りる。
眼下にVielhaの村が見えてくると、これで終わってしまうのが残念に思えた。本当に気持ちの良いトレイルランニング日和だったのだ。村に入ると花道ができている。走り終わったランナーや、スタッフ、村の方々が「Bravo!!」と祝福してくれる。ゴールゲートは明るく、鐘が吊るされている。この大会に関わった方々に感謝しながら、ゴールまで走り切り、勢いよく鐘を鳴らした。
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