1年を締め括る雨と泥のナイトトレイルSaintéLyon2022レポート

昨年同様、12月1週目にSaint-ÉtienneからLyonまで78kmのトレイルを夜間に走るSaintéLyonに参加した。この大会は今年で68回を数えフランス国内でも最も歴史のあるトレイルランニング大会の一つだ。12月の厳しい寒さの夜、例年よくて雨、悪い年は雪が降る気象条件の中走るタフなレースに1万人以上が参加する。エイドやコースのたくさんの声援とボランティアスタッフによるエイドのサポートも手厚く、暖かなホスピタリティのある大会運営もこの大会の醍醐味だ。個人的にも昨年友人と一緒に初めて出場したトレイル・ランニングの大会として思い入れがある。友人たちと参加したSaintéLyon2022をレポートする。

スタートに間に合わない? ドタバタの出走

 ふだんランドネもトレランも一人で出かけることが多いが、今年のSaintéLyonは友人に声をかけて出場した。メンバーはマキシムと彼の友人のギヨーム。彼らは過去に2回出場し1度完走、一度リタイアしている。それに今年初めて出場するランドネ仲間のサトシさんというメンバーだ。

 それぞれ仕事があるので、ホテルだけ同じ場所をとって現地集合という形をとったのだが、フランスでは年末にストライキがよく起こる。より多くの人を困らせてストライキの効果を高めたいのだろう。レースの週末、フランスの国鉄SNCFのストライキが発表された。マキシムから「予約済みの電車がちゃんと運行するか確認したほうがいい」とメッセージをもらったが、案の定予約していた早朝のTGVの欠便が知らされた。焦って予約を取り直して、レース当日の午後にLyonに到着する便に振替。前日の金曜日中に移動する方法も考えたが、ばたばた出かけるよりもゆっくり準備をして自宅で充分な食事と睡眠を摂ることを選んだ。

 分かっていたが、その分当日は忙しい。ParisからLyonまでの電車移動。ホテルへのチェックイン、会場へゼッケンを取りに行き、装備を整えてから夜にスタート地点Saint-Étienneまでの電車移動。余裕はあるが余計なことをしている時間はない。無事チェックインしてゼッケンを取りに行きホテルへ戻る途中で、金曜日にLyon入りしていたマキシムからSMSが届く。

会場のTony Garnier。ゼッケン引き取りとシャトルバスで列ができていた

 「Saint-Étienne行きの電車はストライキの可能性があるからギヨームとシャトルバスを使うことにする。17:30の便に乗るつもりだ」。ホテルへ戻っている最中、しかもあと30分後。 仕方なくマキシムとギヨームとは別行動をとり、同じく当日Lyonに到着していたサトシさんと2人で電車で向かうことにした。駅へ行くとSaint-Étienne行きの電車は普通に運行していた。フランス人のこういうところは、全く理解できない。

 我々はLyonでゆっくりと夕食を取り19:30頃の電車に乗ったが、あろうことか、焦って行き先の違う電車に乗ってしまう。すぐに気づき次の駅で降りるがそこは無人駅。タクシーなどもちろん止まっていない。GoogleでLyonまで戻る方法を探すと表示されたのは。バスを乗り継いで1時間超。間に合うが、ぎりぎりだ。

 「ひとまずバス停へ」ということで、バス停のある国道まで出るとあろうことか、かすかに緑色のランプを乗せたテスラが近づいてくる。期待が叶い、タクシーを捕まえる。Lyonまでは20分ほど。ほっと一安心。20時過ぎの電車に乗り込み、移動時間を睡眠と携帯電話の充電に費やした。

スタートの会場へ向かうランナー

 スタート地点に着いたのは21:00頃。ようやくマキシムとギヨームと合流する。2人の他にLyon在住の友人パコーも加わっていた。彼も昨年のレースに参加して、ゆっくりとではあるが完走している。こうした再会はとても嬉しい。3人はマットを敷いて寝袋にくるまっていた。簡単に挨拶を済ませて準備に取り掛かる。スタート前にトイレを済ませようとするも、すでに長蛇の列。仕方なく列に加わり40分後マキシムが声をかけに来る。「外にもトイレあるぞ。あっちのほうが早い」。案内が見えづらく全くわからなかった。確かに外にも簡易トイレが設置されている。こうした些細なことも余裕があればすぐに気づけたであろう。

スタート前、出口にランナーが集結。身動きがとれないほどの混雑だ

 無事トイレを済ませて、荷物を預けて22:00過ぎにスタートエリアへ向かう。彼らは先に行ってしまい合流するのは不可能だった。なにしろ7000人が出走する。私はサトシさんと一緒に列に加わった。人の波に揉まれ耐えるように時間が経つのを待つ。ようやく会場のドアが開き、冷たい外気が流れ込んできた。

長い1日だったがようやく、スタート地点に立つことができた。

SaintéLyon完走は難しい??

写真は2021年。寒かったが、雪の舞うコースは美しかった

 SaintéLyonは冬の低気温と、常に雨もしくは雪が降るという気象条件から「フランスで最も難しい大会」と言われることもある。しかしながらレースのデータから見れば、そこまで厳しい条件ではないことがわかる。総距離は78km、獲得累計標高差は4400m(+2050m、-2350m)。最高到達地点も約840mだ。また、前半こそ数百mの登りがいくつかあるが、40kmを超えてからはほぼ下り。しかもロードがかなり多い。5つのエイドに関門はあるものの、制限時間も16時間以上と余裕がある。

 今年で64回を数える伝統から、市民の注目度も高く、ボランティアも900人以上が参加してくれる。レースを通して応援やサポートを受けて走るため、モチベーションも保ちやすい。

 こうした間口の広さから、アマチュアランナーからも人気があり、挑戦しやすい大会だと言えるだろう。実際、私も初めての大会参加がSaintéLyonでよかったと思っている。気温は氷点下まで下がり、路面はぬかるみ+凍結。そんな環境下でも準備した装備で対応できたこと、13時間以上かかったが無事にゴールできたことで、その後の大会でも自信を持って臨むくとができた。

ぬかるみと下りの対策は新シューズInov-8で

 昨年のレースはスタートから降雪だった。今年は小雨がぱらつくが寒さは去年ほどではなかった。(とはいえ、0°前後ではあっただろう)。装備は前回の大会に向けて揃えたものを今年も使っている。トップはベースレイヤーに昨年の完走賞のTシャツ、ミッドレイヤーにSalomonのパーカー、アウターはThe North FaceのFuture lightのジャケットという3枚。ボトムはデカトロンのタイツとパンツ。足元は、Tabioの5本指ランニングソックスの上にInov-8のTrailFly Ultra G300を履いた。バッグはSalomonの12ℓのバッグだ。それに加えて今年はスキー用の厚手の手袋を持っていった。

 会場の門が開いて、スタートゲートで待つ。音楽とMCでランナーを盛り上げる。昨年と言うことは同じだ。「SaintéLyonはリスクが伴う大会です。負傷して動けないランナーがいたら、自分のタイムや結果よりも助け合って。Tous ensemble(皆で、一緒に。)ゴールしましょう 」

 第2waveで出走できるかと思いきや、目の前にスタッフがテープを引っ張ってきて、第3wave先頭に経つことになった。先頭で出走できることも珍しい。アーチの真下で号砲を待つ。撮影スタッフがカメラを向ける。

 10からカウントが始まった。

「Cinq, quatre, trois, deux, un c’est parti!!」

 サトシさんと挨拶を交わして勢いよく走り出す。
 2022年最後のレースSaintéLyonが始まった。

補給食選びなど成長した2回目大会

 Saint-Étienneを出発して数kmは街中のロードが続く。体が温まるまでのウォーミングアップだ。大会2週間前に体調を崩し、全く練習していなかったが、足は気持ちよく動いている。体も重さを感じず軽快だ。スピードが落ちるトレイルに入る前にキロ5分台で距離を稼ぐ。トレイルに入ると、昨年同様路面は泥だらけ。街灯がなくなるとあたりは真っ暗に。ランナーのヘッドライトだけが森の中で流れるように輝く。この景色はトレイルランニングをやっていないと見られない。何度か振り返り写真を撮影した。

写真を見返すと昨年も同じポイントで撮影していた

 スタートしてしばらくすると雨が降り始める。どうということはない。この大会に雨はつきものだ。

初めのエイドがある村Saint-Christo-en-Jarez

 森を抜けると、オレンジ色に照らされた最初のエイドSaint-Christo-en-Jarezが見えてくる。昨年と同じ家が、賑やかに電飾がほどこされていて、若者が音楽をがんがん鳴らして応援してくれる。火を焚いて暖を取りながら声をかけてくれる方々も昨年と同じだ。彼らにとってもこの日は一年に1度のお祭りなのだろう。

 17km地点の最初のエイドに2時間ほどで到着した。序盤のエイドでは、体温の低下を避けるために水の補給と飲み物、主にコーラとコーヒーを摂るようにした。眠気覚ましのカフェインの摂取と、内臓を暖かく保つためだ。食料は自分で持ってきたものを食べることにした。

序盤のエイドは混み合っている

 持参したのは、ジェル3本、フルーツジュース3本、チョコバー、シリアルバー、ヌガーなどを数本。チョコ、蜂蜜などのアメ類、羊羹。ドライフルーツ、ドライナッツ、そしてサラミ、鴨の燻製だ。この一年で行動食についてもいろいろと試して後半疲れた時に食べることができるいわば“ご褒美食”を持参するようにした。エイドの食事はどこの大会でも基本的には同じだ。なので自分で用意しないとチョコバーやバナナ、オレンジを1日中食べることになる。心理的にも楽しみがあるほうが、走り続けることができると思う。

一年の練習の成果か新しいシューズのおかげか

 エイドを出る頃には雨が強くなってきた。下り坂で足を滑らせるランナーも。なるべく大きな水溜りに足を沈めないように注意しているが、どうしても水の侵入は免れない。一度水に使ってしまえば覚悟は決まる。

 走る時には常に足を置く場所を気をつけた。なるべくフラットな路面を踏むように心掛けぐちゃぐちゃの滑りやすい路面は避ける。牧草地の端っこや樹林帯とトレイルの境目などの草を踏んでよりシューズのグリップを効かせるようにした。

 今回着用したinov-8の大会使用は初めてだったが、昨年のようにずるずる滑る恐怖感が全くなかった。下りが非常に苦手で、しかも昨年は路面が凍結していたのでおそるおそる降りていたが、今年は重力を利用してスピードを殺さずに突っ込んでいけた。シューズの信頼が増すにつれて、木の根や石が転がっている場所よりも柔らかい泥のほうが安全だと判断してあえて泥に突っ込んでいくこともあった。どうやってテクニカルな下り坂を攻略するか瞬時に判断して足を捌いていくことが楽しくなってくる。

霧に包まれた第2エイドSainte-Cathrine

 30km地点のSainte-Cathrineにも2時間ほどで到着。時刻は4:00を過ぎた。ここでもコーラとコーヒーを飲むだけにとどめ、食事はバッグから鴨肉を取り出して齧った。脂の旨味が口に広がり元気が出る。5分ほどの休憩で出発する。

 コース途中でサトシさんに声をかけられた。サトシさんとは練習で夜に30km、昼間に50km走ったことがあるが、私のほうがコースを知っているのでその時は私の方がペースを牽引したが、この日はほぼ同じペースで来ている。やはり一人で走っているよりも友人と話しながら走ることができるのは楽しい。言葉を交わしてからペースを上げて別れる。

暗闇の中で急坂を登る

レース中盤。雨でぬかるむ上り坂

 44km地点の第3エイドの前にこの大会で一番の登りがある。この坂は急勾配なうえに足場が悪いので余計に体力を使う。悪いことに雨まで降ってきた。実際登ったのは200mいかないくらいのはずだが、暗闇の中だからかいつこれが終わるかわからないことで、余計に疲れる。ぞろぞろと暗闇の中を無数の人間が坂を登る光景は異様だ。そんな苦しい場面でも祭囃子が聞こえてくる。応援団が森まで来てランナーに声をかけてくれるのだ。「Allez allez!!(頑張れ!)」苦しい時の声援は不思議なほど元気をもらえる。

上りは諦めて補給食を取りながら確実に進むことを心がけた

 この坂道を上り終えると400mほど一気に下る。上りで疲れた足を休めることなく、しゃかしゃかと足を動かす。戦略はいつも「下りと平坦は走る、上りは早歩き」だ。下り坂が緩くなり、なだらかな走りやすい農道を進むと暗闇にベースキャンプの明かりが浮かぶ。第4エイドのLe Camp-St Genouだ。時刻は6:30。昨年ここに着いた時にはもう夜が明けていた。ペースがだいぶ早い。屋外での休憩は体温を下げるので、ここでも必要な補給を済ませて早めに出発する。

Le Camp-St Genou。レースは折り返しにさしかかる

 コースの半分を超え、コース最大の難所も通過した。あとはほとんど下りのみなのだが、これがなかなか辛かった。私は上りで足も呼吸も休めるようにしているのだが、こうなだらかな道が続くと休む暇がない。コースはロードも増えてきた。私は記録至上主義ではなく、イベントを楽しむのが目的でトレイルランニングをやっている。だから歩くことに抵抗はないものの、走っているうちに「どれだけ昨年の記録を更新できるか」という新しい欲も出てくる。

 「ここは走ろう。歩くところじゃない」
 「そこの手前まで走る。そこからしばらく歩いてヨシ」

 自分自身との対話しながら、疲れすぎない、足を痛めないぎりぎりのラインを探りながら足を進める。第5エイドSoucieu-en-Jarrestに至る長いロードでは、キロ5〜6分台で走ることもあった。レース後半でここまで足が残っているのは初めてだ。気持ちよく他のランナーを追い越しながらエイドの体育館に吸いこまれた。

 夜は開けてすっかり明るくなってきた。

夜明け前。うっすらと空が赤く染まり始めた

まさかの接戦。サトシさんとの鍔迫り合い

 第5エイドではしっかり休憩をとった。足や腰、背中も柔軟をしてメンテナンス。筋肉の疲労は蓄積されてきたが、関節の痛みはそこまでない。補給を済ませた後は5分ほど目をつむり脳を休ませてから最後のエイドChaponostへ向けて出発する。
 ここまでマキシムとギヨームは、ペースが違うのでコース上で会うことがなかったが、サトシさんには後ろから声をかけられたり、追いついて追い越していくことが何度かあった。かなり近いペースで走っていることはわかるが、私もとぼとぼ歩いているわけでもない。50kmあたりで会った時も、「疲れがたまってきた」と言っていた。やや引き離していたかと思っていた。

ようやく景色が楽しめるのはレース後半から。走りやすいハイキングコースだ
森を抜けて街がが近づくのがわかる

 最後のエイド・Chaponostには9:40に到着した。あと12km。元気な時なら1時間と少しで走り切れる距離だ。昨晩から始まったこのSaintéLyonもいよいよ終盤を迎えている。レース終盤はいつも長い旅を終える時のような気持ちになる。やっと暖かいシャワーを浴びてベッドで体を休めることができる安堵感。それと、スタートからここまでの時間と距離がもはや過去の出来事だったような時間の経過。そんな感傷が入り混じるのがラスト10〜5kmだ。最も疲労がピークに達するのもこのあたりなので、さぼって歩いてしまいたい気持ちに負けないように、足を動かし続ける。ランナー同士でも

 「もうすぐだよ」
「 あと5km!」

 とお互いを鼓舞する。

水道橋の跡地
街が近づいてきたのがわかる

 市内の森にあるアスレチックに入ったところからペースを上げた。時計を見ると11時間代でゴールできそうだ。あとはできるだけランナーを追い越してタイムを縮める。昨年同じコースを走っているので、今年はペースを配分しやすい。水道橋の横の坂を登れば下り坂、そして、昨年痛めた膝を庇いながら下りた急な階段がある。今年はそんな苦しみもなく軽快にクリア。岸まで降りたらあとは川を渡るだけだ。残り2km、最後に一気にペースをアップする。一所懸命走っていると沿道からも「ブラボー!」と声援が飛ぶ。川岸から階段を上り、まずはソーヌ川を渡り次にローヌを川を渡る。右手に近代的な合流博物館の建物が見える。ゴールはその奥だ。

二つの川の間に立つ美術館

 サトシさんと再会したのは、この橋の上だった。後ろにいると思っていたのに見覚えのある背中が目の前を走っている。勝ち負けにこだわりはなかったけどペースを落とさずに、追い越す。ゴールのトニーガルニエが見えてきた。息が上がって苦しいけど、あとほんの数分でゴールだ。ホールの周りをぐるりと回るコースがいやらしい。ゴールはすぐそこなのになかなか近づかない。やっと最後のコーナーを曲がると観客が教えてくれる。

 「ゴールはもうすぐそこだよ!」

 自然と笑みが溢れる。やった、やっと終わる。そう思ったのを覚えている。賑やかなライトと音楽がなるアーチをくぐり、一礼。昨晩スタート地点にいたスピーカーとハイタッチを交わした。1分後、すぐサトシさんも到着して、無事にゴールできた喜びを分かち合った。まさかこんなに近いタイムでゴールできるとは思わず、とても嬉しい瞬間だった。

レースを終えて

 終わってみてレースのデータを見ると、サトシさんとは最後まで同じペースで来ていた。私の方が長くエイドで休憩していたことで追い越されて差が開いていたのだろう。そしてマキシムとパコーは第2エイドでリタイア。寒さによる体調変化が原因だったよう。ギヨームは16時間をかけてゴールした。長い時間をかけて走ることもとても大変なことだというのはよくわかる。諦めずにやり切ったのは素晴らしいことだ。ただ、肉体疲労がひどすぎてホテル一階のレストランでの夕食には降りてくることができず食事は部屋でとった。

 前述したようにSaintéLyonには、12月の寒い雨の夜、という条件を除けばそこまで過酷な大会ではない。それ以上に注目度の高さや大会のホスピタリティといった他の大会にはない魅力がある。それはレースの難易度や壮大なアルプスの景色といったものとは交換できないこのレースの真価だ。

 完走直後は「もう二度と出たくない」と思っても、しばらくするとそんな苦しみは忘れてエントリーしている。そんな不思議な魅力がこのレースにあるのだ。

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