今年もUTMBウイークがやってくる。世界中からトレイルランナーがChamonixに集まり、雄大なアルプスを駆ける。UTMBはトレイルランニングの世界では、最高峰の大会。この一週間、Chamonixは熱狂に包まれ、トップアスリートはもちろん、アマチュアランナーにとっても特別な一週間になる。今回の記事では、2023年に参加したUTMBの中の一つのレースTDS(TRACES DES DUCS DE SAVOIE)を振りかえる。
UTMB(L’Ultra-trail du Mont-Blanc)は、トレイルランニングをあまり知らない方でも聞いたことがあるかもしれないが、TDSについてはトレイルランナー以外の方で知っている方は少ないだろう。UTMBというのはイベントの名前でその中に、距離やコースが異なる様々なレースが存在する。大会の名前を冠する100milesレースのUTMBをはじめ、100kmカテゴリーのCCC、50kmのOCC、300kmを2人もしくは3人のチームで走破するPTLなどがある。TDSもそのうちの一つで、走行距離は148km、累積獲得標高は9300m。イタリアのCourmayeurから、44時間以内にChamonixを目指すレースだ。総距離176km、累積獲得標高は9900mmのUTMBに比べて易しいように思えるが、「コースの難易度はUTMBよりも難しい」という人もいる。また、UTMBをはじめいくつかのレースにはランニングストーンの獲得などの参加資格が必要だが、TDSは誰もがエントリーできるのも特徴の一つだ。
私も多くのトレイルランナーと同様にUTMBの参加を目指しているが、いつまでフランスにいられるか分からないので昨年TDSへのエントリーをしたのだ。
スタート遅延と悪天候。慌ただしい1日目の夜
先に書いたようにスタート地点はCourmayeurでゴールはChamonixなので、宿はフランス側でとった。ServozというChamonixからは少し離れた小さな村でAirbnbを見つけた。ホストのMariannaがジャーナリストで大会に詳しかったし、地図を見ながら「ここの登りが厳しいから気をつけて」と心配をしてくれて助かった。Chamonixに比べて静かだが、スーパー、パン屋など必要なものは揃っていて居心地が良い村だ。レース当日はChamonixから大会のバスに乗ってCourmayeurまで向かう。ところが、UTMBの影響下イタリア側に抜けるモンブラントンネルで大渋滞。それによって、スタートに間に合わないバスが出てきたため、スタート時間が1時間弱遅れることになった。バスでの移動してきたので、スタートラインに立つまでは緊張が解けなかったが、スタートの遅延がアナウンスされてからは、ほかのランナーと同じく屋内の駐車場で目を瞑り、体を冷やさないように静かに待っていた。
スタートしてからは、体の様子を見ながら自分のペースを作っていく。Courmayeurを出たらすぐに1000mほど標高を上げる登りだ。この最初の登りで、“記念エントリー”したランナーたちはふるいにかけられる。TDSはエントリー資格がいらないので、UTMBに参加したいけど、そのレベルに達していないアマチュアランナーが一定数エントリーしていたように思う。14km地点のLac Combalに着くと雨も降りかなり寒くなってきた。ここからさらに標高を500メートル上げて、2500mまで登る。既にかなり寒かったので、フリースの上にさらにダウン、そしてレインパンツを着込んでCol Chavannesまで登った。2018年にTMB(Tour du Mont Blanc)を歩いた時には、雪解け水の湿原帯に感動した景色は暗闇の中。夜が明けるまでは、黙々と山を登る。コルを下る頃に朝日が出て明るくなってきた。
夜が明けてからはフランス側を走った。2年前に友達とスキーに出かけたLes Arcs, Bourg Saint-Mauriceというエリアだ。地名を懐かしく思いつつも、雪のない山々と当時の記憶はなかなか結びつかない。
再び2000m超の標高に達すると、霧に包まれた残雪のトレイルに。トレイルのマークが見えづらく、何度かロストしそうになった。幸い前後に他のランナーがいたので、声を掛け合って助け合うことができたが、もし一人だったらかなり不安になっただろう。
ピークを超えて、下山を始めると雪がなくなった。放牧されている牛の群れに怯えながら谷を下る。彼らはランナーなど意に介さないようで、のんびり谷を闊歩していた。92km地点の大きなライフベースBeaufortに着いた頃には日が傾いて2回目の夜が始まった。
2回目の夜、睡魔との戦いが始まる
Beaufortを出ると再びを山を超える為に森へ入る。火照った身体を、夜の森の冷気が心地よく撫でてくれたのを覚えてる。その感覚は「あぁ、このために走っている」と思えるほど。例えるならサウナのあとの冷水プールだろうか。
だがその後強烈な睡魔に襲われて、村の外れの高台にあるベンチで10分ほど寝転んだ。ランナーが私を撮影するシャッター音が聞こえてきた。横になっているうちに体温が下がって寒くなってきたので、また歩き始めた。仮眠は気休めにはなかったが、効果はほぼなかった。なだらか幅の広いグラベル(砂利道)は単調で、眠くて眠くて仕方がない。私だけではないらしく、道端で横になっているランナーもいる。ポールに体重をかけて、目を閉じているとフランス人のランナーに「疲れたよな、でも気持ちを強く持って続けよう」と声をかけられた。
ヨタヨタと歩いていたが、蛇行して歩いているのが分かったし、足元の石ころを落とした〝何か〟だと勘違いし、何度も立ち止まって拾おうとした。これがロングレースでよく聞く、幻覚の症状なのだろうか。認知能力が著しく低下して、思考と記憶がブツ切りになりバグを起こしているようで、恐ろしくもあった。
どうやって眠気を乗り越えたのかはあまり覚えていない。日本人のランナーが話しかけてくれて、「眠いっすね……」と話しながら歩いていたが、いつしか距離が離れていった気がする。覚えているのは、日が登ってからだ。長いなだらかな登りを終えて、下りに差し掛かった。下りの方がスピードが出る分、走る時に神経を使う。それが刺激となって、目が覚めたようだ。緩やかな牧草地帯を眠気を振り払うように駆ける。アドレナリンが出て、足がくるくる回った。ここに来てこのレースで1番の絶好調だった。泥のぬかるみに躊躇なく突っ込んでいく。途中派手に滑って、谷川に少し落ちたが草を掴んで踏ん張った。後ろにいたランナーに、「Ça va?(大丈夫か?)」と心配されたけど、次の瞬間彼も同じ場所で滑って、2人で笑った。
スキーのリフトの駅Le Signalに着いたのは朝の8:00頃だったか。長椅子が置かれていて待ちに待った睡眠が取れる。制限時間を確認しても余裕は十分あった。トイレで顔を洗い食事を取ったあとに横になって泥のように眠りについた。1時間以上はエイドにいたかもしれない。起きたら同じ時間にエイドに入ったランナーはいなくなっていた。外で牛たちがのんびり草を食んでいた。
見覚えのあるNotre-Damme de la Gorgeまでやってきた。TMB (Tours de Mont Blanc)では、ここから本格的な旅が始まるんだと、わくわくしたのを覚えている。ここから当時とは逆のルートでChamonix まで戻る。
ゴールが見えてきたと思ったが、Les Contaminesの村からまだ標高2000mまで登る。最後のコルでは日本人のランナーとも話したし、同じペースのフランス人のランナーとも話した。皆、疲れていたがChamonixを目前にしてリラックスした雰囲気だった。足の筋肉を無駄に使わないように段差の1番低い場所を探して、淡々と登る練習がここでできた。雲が切れてこれまで全く見えていなかったMont Blancがようやく顔を出した。
最後のエイド・Les Houchesではなんと、AirbnbのホストMariannaが犬と一緒に来てくれて声をかけてくれた。私は1人で来ていたので、この応援はかなり嬉しくてChamonixまで残りの7.8kmのパワーをもらった。ここからは川沿いの平坦な林道だ。残しておいた足で歩いているランナーを抜きながらゴールを目指す。
ラスト5kmほどだろうか。林道で翌日の100kmカテゴリーOCCのレースに出場予定で、アルゼンチンからやってきたMartiniが、声をかけてくれて「ペーサーやってやろうか?」と申し出てくれた。試走していて、もう村に戻るところだったみたいだ。ありがたく好意を受け取った。「キロ6:00くらいでいい?」と聞かれて、150km近く走ってきて、そのペースは俺にはもう無理だよ、と思ったが、ペーサーがいると頑張れてしまうものだ、村の入口まで話しながら引っ張ってもらった。村に入る手前で彼と別れた。「ここからは、沿道の皆が声援を送ってくれるぞ。楽しんでこい」と送り出してくれた。Martiniも自分のレース楽しんで。と握手して別れた。
UTMBのゴールはどのレースよりも感動的だ。この1週間、この村は世界で1番、トレイルランニングの熱狂に包まれている。本当に村にいる人たち全員がランナーを応援してくれた。写真を撮りたかったが、立ち止まらずに目抜き通りを駆け抜けたかった。心が震えるほどの声援を受けて、夢の舞台のゴールゲートに辿り着いた。本当はTDSではなくて、UTMBに出走してこのゲートをくぐりたかったが、TDSを走り切れて自信になった。本当に、来てよかった。
リカバリーデーを1日挟んでChamonixを発つ日、UTMBのスタートを見に来た。私がゴールした時よりはるかに多い人たちが、スタートするランナーを一目見ようと沿道に陣取っていた。レースが始まると大歓声の中をトップグループは一瞬で駆け抜けていく。すごい。高揚感で涙が出そうになる。絶対にまた戻ってきてこのレースに出る、そう決意を新たにしてChamonixを後にした。
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