West Highland Way – Beyond the Valleys of the Wind – (後編)

West Highland Wayは、スコットランド・ハイランド地方のトレイル。Glasgow郊外のMilngavieを起点に、Loch Lomond and Trossachs国立公園内や、かつて農道や軍用道路、馬車道として使われていた道を通り、Fort Williamに至る95mile(152km)のロングトレイルです。後編はBridge of Orchyから終着点のFort Williamsまでの行程をお届けします。前半とうって変わって、荒々しい原野の中を歩きます。最終日にはグレートブリテン島最高峰のBen Nevisへの登山にも挑戦。歩く旅だから見える景色、そして大自然の中で覚える感情がロングトレイルの醍醐味。West Highland Way、完結編です。

曇天の空がこの旅の日常

Day4 Bridge of Orchy – Kingshouse

 テントを叩く音と地面から感じる湿度で、まだ雨が降っていることがわかった。一度目が覚めるが、雨の気配で起き上がりたくなくなる。用意した着替えは二着。今朝も濡れたTシャツを着ると思うと憂鬱だ。もぞもぞと寝袋にくるまっていると、周りのグループが支度を始めた。今日は19kmしか歩かない。スタートは遅くても良い。皆の後でのんびり出発しよう。

Orchy川沿いのキャンプサイト

 最後にキャンプサイトを出たが、初めの休憩所Inveroran Hotelで、同じキャンプサイトに泊まっていた人たちに追いついた。昨晩Bridge of Orchy Hotelで横に座ったイスラエル人の親子とも再会。みんな雨宿りするかのように、コーヒーやサンドウィッチを食べていた。

 まだ食料は十分あったので、私は温かいコーヒーだけもらって再び歩く。スコットランドのコーヒーはアメリカンが主流のらしく薄くて量が多い。フランスでエスプレッソに慣れているので、飲み終わるのに時間がかかって調子が狂う。

今日もハイランドは曇天

 トレイルは昨日から引き続き低山の谷間に伸びる。なだらかな丘陵が続く景色は開放的なのだが、風通しがよい。というか、風を遮るものが全くない。この日は(いつもこんな天候なのだと思う)ずっと風が強く吹いていた。標高が2、300mと低いのでさほど危険は感じないが、体感では800〜1200mくらいの気象条件だ。ミッヂが飛ばない分、かえって歩きやすいと言えるのかもしれない。この空の下で雨風に吹かれて歩くのも慣れてきたし、草原が風になびく景色にハイランドらしさを覚えた。

 時々晴れ間が出ると低い谷に虹がかかる。そしてそこにA82が通っていることが分かった。国道は有名な観光地Glencoeに続いている。Kingshouseに着く前に、Glencoe Mountain Resortの前を通り、山頂に登るリフトが架けられていたがシーズンオフなのか人気が全くなかった。A82を跨ぐとすぐにKingshouseの建物が見えた。このKignshouseは、18世紀に英国軍が兵舎として使っていたそうで、スコットランド最古の認可宿と言われている。

虹の後ろに見えるのがA82

 現在のホテルはレストラン、バー、客室を備えた母屋とドミトリーの2棟からなる。私が予約したのはもちろんドミトリー。一泊64£だ。3日ぶりのベッドが嬉しくて堪らなかったが、何より興奮したのがドライルームの存在だ。私の到着は15時と早かったようで、チェックインしたハイカーはまだ少ない。今のうちに洗濯をして乾かしてしまおう。そう思って、部屋の前で装備を下ろしてシャワーへ。数日ぶりに乾いた部屋のベッドで眠れるのだ。泥だらけの装備で快適な空間を汚したくない。シャワーであらかた洗濯を済ませて、ドライルームに洋服、靴、テントを干した。明日は乾いた服で出かけられると思うと嬉しくて仕方がない。

近代的な建築で快適なホテル

 携帯や撮影機材を電源に繋いでから夕食へ。ドミトリー棟の食事スペースでは、電子レンジや電子ケトルなどの設備も自由に使える。先に座っていたフランス人の女性二人組と相席をさせてもらった。彼女たちは高校時代からの友達で、40歳を前に一緒に旅に出ることにしたのだとか。旅に出る美しい理由だ。ラーメンを一つのボウルでシェアして食べていた。仲がいいんだな、と微笑ましく思って尋ねると「ボウルが一つしかない」からだそうだ。お互いに食べ物をシェアして楽しい時間を過ごした。

 食後は母屋のバーで、ウイスキーを2杯いただく。地図を眺めながら手帳に旅の記録を書き留めながら過ごした。ベッドで眠ろうと横になったのだが、2日目にミッヂに噛まれた数十箇所が一斉に痒くなった。南京虫かと思って、ベッドの周りを探してみたが何もいない。せっかくのホステル滞在だったが、あまりよく眠ることができなかった。

夜のGlencoe

Day5 Kingshouse – Kinlochmore

 Glencoeの谷は雲の中。今朝もどんよりと厚い雲の下でスタート。宿が快適すぎて出かけたくならず、宿を出たのは10:30チェックアウトぎりぎり。この日も最後に出発した。旅はもう後半の行程に入っており、歩く距離は短くしてある。この日はたった14kmの計画だ。

ホテルから再び雨の中での出発

 KingshouseからA82に沿ってGlencoe方面、北東へ進む。道路が大きくカーブを描くところがAltnafeadhで大きな駐車場がある。ここがA82とWest Highland Wayの分岐点だ。トレイルはDevil’s Staircaseというおっかない名前の上り坂になり、北へ続く。この日の目的地、Kinlochmoreに続くトレイルはかつて、軍用の道として使われていたそうだ。

深くえぐれた稜線が美しい

 旅に出る前からDevil’s Staircaseの名前にびびっていたが、登り始めたらなんてことはない。2、300mの登り坂だろうか。この呼称は道路やダムを敷設する時に資材を運ぶ時に労働者がつけたそうだ。確かに建築資材を持ってこの山を登るのは大変だっただろう。登った後に振り返ると美しく抉られた山のカーブが、スウェーデンのKungsledenを思い出させた。

Kinlochmoreへ抜ける峠

 コルから北側の斜面へ抜けて1時間ほど。樹林帯に入ったところで谷間に集落が見えて、そこが目的地のKinlochmoreだとわかった。谷の奥にある小さな村だ。村にはお昼過ぎに着いた。昨晩宿で出会ったフランス人の二人ともトレイルで出会い、同じ時間に到着。二人は小さなキャビン“ポッド”を予約していた。チェックインにはまだ早かったので、キッチンスペースで火を起こしてお昼を食べる。ここにもコンテナを改造したようなドライルームがあった。テントを張ってから濡れた靴下だけ干しておいた。

Blackwater Hostelのキャンプサイト。左手に見えるドーム状の小屋がポッドだ

 日が暮れるまでたっぷり時間があったので、近くのGrey Maresという滝を見に行くことにした。村にはCOOPがあったので、おやつにショートブレッドを買って歩きながら食べる。小さな村の教会からトレイルに入って、15分ほど歩くと滝があった。先客のご夫婦が濡れた鉄パイプの橋を渡ろうとしていた。ハイカーではなくリゾートで来た格好をしていたので、ロープを使うところで諦めて戻っていった。私もトライ。水飛沫で濡れて滑るので慎重に進む。崖にロープがあるのはむしろ安心。捕まっていれば落ちることはない。滝の正面に掛けられた2本のパイプ橋の真ん中で写真を撮って引き返した。

トレイル入口にある教会。滝は豪快に水飛沫をあげている

 夕食をどうしようかと考えていたが、おやつに食べたクッキーのせいで眠くなってしまった。この村には飲食店がいくつかあり、中華もあったので気になっていたが、何も食べずにテントに戻って寝てしまった。

村にある中華料理屋はハイカーで混み合っていた

Day6 Kinlochmore – Ben Nevis

 久しぶりに陽の光で目が覚めた。トイレに行きたくなって仕方なくテントから這い出ると、山の向こうが明るくなっている。やった、今日は晴れだ。時刻はまだ5:00。前日早く寝たので、十分睡眠も取れている。トイレのついでにシャワーも、と思って浴びに行ったのだがこれが“水シャワー”。顔を洗うだけに留めて、出発の支度を始めた。私が一番早起きだったが、支度をしている間に二人起きてきた。おはよう、と軽く挨拶をして三人とも黙々と準備を進めていた。

谷に朝陽が降り注ぐ

 6時頃に準備はできたものの、COOPで買い物がしたかったので、河原を散歩して時間を潰す。土手にブラックベリーを見つけたので、トゲのある枝をかき分けてむしゃむしゃ食べた。野生の果物は馬鹿にできない。こうした旅では貴重なビタミン源になる。7時になって店が開くと地元のおばあちゃんとハイカーが買い物をしていた。

Leven川沿いに民家が並ぶ

 本来であれば、この日はWest Highland Wayの最後のステップになる。ゴールのFort Williamまではもう24kmしかない。ただゴール直前にグレートブリテン島最高峰のBen Nevisを通過する。せっかく近くを通るなら“最高峰”に登るのも悪くないと思ったので、1日登山デーを設けることにしたのだ。

Kinlochmoreの村を見下ろす

 朝のWest Highland Wayは静かだった。道路から分かれてトレイルに入るといつも通り、谷間の一本道に出る。今日もまっすぐ伸びるこの道を、自分のペースで歩く。晴れ間が覗く空を振り返ると、村が見えた。晴れ間は続くことはなく、これまでのように時折、雨を降らす。途中で出会った女の子が立ち止まってレインウェアを脱ごうか着ようか迷っていた。「暑くなってきたんだけど、レインウェアを脱ぐとすぐにまた降り始めるのよ」。

廃屋にテントを張っているハイカーがいた

 歩きながら考えていたのは、翌日の登山だ。インターネットで情報を集めるのだが、いまひとつどれくらいの難易度かピンと来ない。東側に大きな山が見えてきたので、Ben Nevisかなと写真を撮ったがまったく違う山だった。

Ben Nevisと間違えた山

 トレイルにマウンテンバイクや軽装のハイカーが増えてきたとろで、正面に本物のBen nevisが顔を出した。なるほど。確かに他の山と違い、どっしりと構えた山容だ。道がFort WilliamsとBen Nevis側に分かれて、山を降りてGlen nevis沿いの国道を歩いた。

右手に見えるのがBen Nevis。奥の集落はFort Williams

 キャンプ場を目指して歩いていたら、うっかりホステルを通り過ぎてしまった。キャンプ場はGlen Nevis Caravanという大規模なもので、これまでテント泊してきた場所と違い観光色が強い。引き返してBen Nevis Youth hostelには、チェックイン前の14:00には着いた。「テラスで昼食をとりながら待っていい?」と聞くと快くOKしてくれた。

山を降りホステルへ

 ホステルは広々としていて、清潔。6人部屋のドミトリールームも荷物のスペースが十分に取られていた。荷物を降ろしてシャワーを浴びた後、お馴染みのドライルームで靴とテントを干す。少し休んだ後に、Glen Nevisの橋を渡り登山口の下見をしてから、国道沿いのレストランでフィッシュアンドチップスとビールをとった。店内には家族連れやバイカーなど観光客が多い。まだ外は明るかったが、翌日の登山に備えてベッドに入った。

Ben Nevis登山の起点になるホステル

最高峰のThe Ben、そしてFort Williamsへ

Day7 Ben Nevis – Fort Wiliams

 ホステルで朝食をとってから橋を渡りアタックを開始した。出発は7時過ぎ。寝具と食事用の荷物をホステルにデポして、バッグを軽くして出かけた。予報ではお昼頃から下り坂。早めに登ってしまい、雨が降る前に下山する計画だ。

 Ben Nevisの登山道は西ルートと北ルートがある。北側はクライミングで有名で、北壁を目指すのに使われるようだ。私はホステルからすぐにアクセスできる西ルートを使った。ホステルから山頂までの往復距離は約14kmだ。

 登山道はかなり整備されている。勾配はもちろんあるが、急すぎることはない。ふだん山を登らない人でもチャレンジできるようになっている。実際、観光客や小さな子ども連れが登っていた。とはいえ、天候はこれまで歩いてきたWest Highland Wayと同じく、曇りがちで風が強く寒い。標高が1300m台と低いからといって、軽装での登山は危険だ。

 20分ほど登ると、ビジターセンターから伸びるトレイルと合流。谷の素晴らしい景色が見える。V字に深く切り込まれた谷を右手に望みながら標高を上げるとHalfway Lochan湖のある鞍部に至る。文字通りここが中間地点になる。鞍部から主峰に取りついたら、あとは九十九折のガレ場を登って山頂へ至る。

Halfway Lochan湖

 アタック開始直後こそ、どんな登山になるか不安だったが、道の歩きやすさとすぐに中間地点に着いてしまったので、余裕が出てきた。標高が上がるにつれて、ガスが増えて視界が悪くなってきたので、ペースは落とさずに進んだ。九十九折のガレ場からは、踏み跡が見えづらくなってきたので、ケルンを目標にした。山頂付近は深く切れ落ちた崖があるので、視界が悪い時には気をつけなければならない。

山頂の手前。視界が悪い時は慎重に進みたい

 

深く切れ込んだ崖

 山頂に着いた時にはガスに包まれて眺望はまったくなし。達成感を覚える暇もなく、観測所の跡地や石碑の写真だけ撮って本降りになる前に下山を始めた。濡れたくなかったので、早く降りるために走った。とても走りやすい道で飛ぶように駆け降りた。登りに3時間。降りに1時間というのが私のBen Nevisのコースレコードだ。早く降り過ぎたせいで、デポした装備を回収するために、昨日に引き続きホステルのチェックイン開始まで待たなければいけなかった。昨日夕食をとったレストランも閉まっていたので、小雨の降るキャンプ場のベンチで時間を潰した。

山頂の気象観測所跡

 装備を回収したら、旅の締めくくりだ。Fort Williamsまではもう4kmしかない。歩く道はトレイルから道路に変わった。森を抜けると、バカンス用の民宿が軒を連ねている。こんなに天気が悪いのに? 春先はマシなのかな、と考えていると中心街へ入る前のロータリーの脇に記念碑が立っているのを見つけた。そこには、「The Original End of West Highland Way」という文字がある。あれ、ここでゴールなのか。撮影を済ませてよく確認してみる。“Original”ということは、他にもあるということ? Google Mapで見ると中心街の外れにゴールがある。ここは、2010年まで「終点」で、その後に新しいゴールが設置されたそうだ。Ben Nevis Highland Centerが“Original”の横にあったので、よいお土産はないかなと思って覗いてみたが、観光客向けの商品しかなく、早々に店を出た。

 駅が見えて、大きな湖が目に入る。Fort Williamsの中心地に到着したようだ。The Paradeという庭園から目抜き通りHigh Streetへ入る。教会や銀行はスコットランドらしい石造の建物だ。一方で商店は近代的な地方都市といった様子。外国人も多く、まさに観光地だ。

新しい終着点

 少し先に私と同じようにバックパックをかついだカップルがいたが、街中にハイカーは多くない。逆に目立つようで「West Highland Wayを歩いてきたんだ」というような視線を感じた。スコッチ・ウイスキーやタータンチェック、そしてネッシーがショーウインドに並ぶ、賑やかな目抜き通りの終わりにエンドポイントはあった。ハイカーは私しかおらず、ベンチでおじさんハイカーの彫刻が待ってくれていた。このおじさんは「靴づれ男」(the man with sore feet)と呼ばれていて特定の誰かというわけではないようだ。とにかく、この旅はここで終わったようだ。さて、今晩は何を食べようか。目抜き通りで目にした候補のお店を思い出しながら、先にあるホテルへ向かった。

エピローグ

 Fort Williamsを出発した列車はGlasgowへ向かって走る。車窓から見えるのはなだらかに隆起した山々とどこまで広がる原野。そこかしこに水が流れていて、湿っぽい。空は分厚い雲に覆われていて、たまに雲が切れて青空を見せて、光があたりを照らす。時々羊たちが歩いている。数時間後には数日前に歩いたBrige of OrchyやTyndramの駅にも止まった。

 Loch Lomond & The Trossachs 国立公園は“風光明媚”といっていい場所だったと思うが、それ以降のHighlandの核心地はほとんど同じような風景が続いた。毎日雨がぱらついて、風に煽られ、水浸しのトレイルで毎日靴下まで濡れた。ミッヂの大群には食い殺されるかと思った。正直、誰にでも勧められる旅ではない。ないけれども、この原野に惹きつけられて歩いてきたのだ。Glasgowに着くまで、車窓からこの一週間を振り返るようにずっと景色を眺めていた。