West Highland Way -Beyond the Valleys of the Wind-(前編)

West Highland Wayは、スコットランド・ハイランド地方のトレイル。Glasgow郊外のMilngavieを起点に、Loch Lomond and Trossachs国立公園内や、かつて農道や軍用道路、馬車道として使われていた道を通り、Fort Williamに至る95mile(152km)のロングトレイルです。UKでは最も人気があり、毎年約5万人がこの道を歩きます。 悪名高いミッヂ(ユスリカ)や、ぐつついた天気などネガティブな要素もありますが、鉄道や道路でもアクセスができ、累積獲得標高差が3,000mとロングトレイルに慣れていない方でも挑戦しやすい道です。美しいLoch Lomond湖畔や迫力ある大河、そして山と谷が織りなす壮大な景色はハイランドならでは。
文章と動画で前半・後半の二編に分けて旅の様子をお届けします。

Glasgowからたったの30分でトレイルへ

DAY 1 Milngavie – Sallochy

 電車の窓から雨が降り始めたのが見えた。スコットランドに行くことを決めてから天気にはそれほど期待していない。曇天のハイキングになることは織り込み済みだ。Glasgowから乗った電車の終点、Milngavie駅には、そこがWest Highland Wayのスタートだということを示す案内がたくさんあった。

Milngavie駅ではハイキングの格好をしたグループが下車した

 事前に地図を見てこの村にM&S(Marks and Spencer)があるのを見つけていたので、食料はここで調達することにした。綺麗な店内や品揃えが気に入っていたのだが、パリの店舗はBrexitの影響でほとんど閉まってしまったのだ。スコットランドのチーズと、イタリアのサラミ、温めるだけで食べられるお米やチリビーンズ、魚の缶詰、パン、そしてコーヒーを調達。私はアルファ米のようなトレイル・フードよりは、ふだんの食事を外で食べるのが好きだ。

ゲートの前に美味しいハイランドの水を補給できる

 出発前に温かいものを食べてからゲートをくぐった。一緒に出発するハイカーは少ない。トレラン風のカップルが足早に歩き、ポンチョを着込んだ女性が一人、ゆっくり歩いていた。郊外の公園からトレイルは始まり、すぐに荒野の景色に変わる。

Milngavieを出て30分ほどで人家がなくなる

 ぬかるむトレイルを黙々と歩いて2時間半ほど経つと、「7maile歩いたよ!ちょっと休憩していかない?」という看板が。トレイル上で出会う売店や飲食店にはなるべく立ち寄ることにしている。またいつ来ることができるか分からないからだ。小屋にポニーがいる気持ちのよいカフェだが、雨は止んでいない。店内で温かいコーヒーを頼んで体を温めた。店員さんにここはどこだ、と地図を見せて尋ねるとDumgoyneだという。店の裏手に同じ名前の山があることを教えてくれた。

Dumgoyne。ハイランド特有の山容だ

 カフェを出ると荒野は広い牧草地に変わった。羊や牛がのんびり草を喰む。時々晴れ間も出てきた。風が強く、雲の流れが早い。電話ボックスのような小屋を見つけた。なんだろうと思って近づくと「Honesty Box」と書いてある。中にはクッキーなどの焼き菓子が並んでいる。なるほど、日本の田舎にもある無人販売所、というわけだ。ヨーロッパでは初めて目にした。名前もこの小屋も可愛らしい。

牧場とHonesty Box

 川を跨いだGartnessという集落がイギリスらしい庭のある家があって素敵だった。道の角で老夫婦ハイカーが腰を下ろして休んでいた。道の途中でDrymen Campingの前を通る。Milngavieからは19km歩いたことになる。Drymenの村にも寄りたかったが、トレイルから外れてしまう。今日の予定だとまだ半分しか歩いていないので、先を急ぐことにした。交通量の多いA811の脇を少し歩いてから再び北へ伸びるトレイルに入る。

A811前のホステルにもHonesty Box

 林道のトレイルで初めて分岐があった。Loch Lomond湖畔に降りる道と湖を見下ろすConic Hillを経由する道だ。当然、湖畔に下る道の方が距離も短く簡単だ。でも、今日はほとんどなだらかな道しか歩いていない。少し悩んだ末、山登りを選んだ。もっとも、山というよりはHillという名称のとおり、標高は361mしかない。丘のふもとの草原には相変わらず羊たちが自由に歩き回り草を探している。犬を連れた北欧系の三人組女子ハイカーのグループがちょうど登り始めたところだった。なんとなく、誰かが近くにいると心強い。

正面に見えるConic hillの北東の峠を抜けてBalmahaへ降りる

 日没が近づいて、日の光が黄色がかってきた。少し登ったところで谷を振り返ると虹が出ている。景色はヒースの紫と盛りを過ぎた草の色で単調であったが、山頂を超えて北の斜面に差し掛かると雲の切れ間から光芒が湖に差し込むドラマチックな光景が見えた。山頂付近からBalmahaへ下るトレイルは、ユンボでブロックを埋め込んでいる途中だった。これが整ったら麓から登りやすくなるだろう。

Conic Hill山頂付近にも羊がたくさんいる

 湖畔の集落は、Loch Lomond & The Trossachs国立公園の入り口。ホテルレストランはリゾート感があってとてもよい。今度は、ゆっくり車でこういう宿に泊まりながら旅をするのもいいなぁ、と妄想をしながら10£のキャンプ場へ向かう。村からフェリーが出ていて、Inchcailloch島まで渡れるようだ。

風が強く荒い波が立っていた

 Balmahaを出てからは、ずっと湖沿いの道だった。大きなMilarrochyのキャンプ場を過ぎたあたりで、日が傾いてきたので、ヘッドライトを取り出す。Garminの計測ではそろそろ歩行距離が40kmになる。あれ、計算だと30kmくらいじゃなかったっけ? もういい加減つかないかな、と思っていたところで、トレイルの横に区分けされたキャンプサイトが現れた。どこを予約したか。とりあえず受付にいくか、と向かったがキャンプ場に受付はなかった。トイレと水場があるだけのシンプルなキャンプ場。4つほど既にテントが張られていてハイカーは既にテントの中だ。

日が沈む前の湖畔の景色

 シャワーを浴びてごはんを食べようと思っていたが、あたりはもう真っ暗。この日はトイレで顔を洗って歯を磨いてすぐに寝てしまった。

Loch Lomond & The Trossachs国立公園のレイクサイドトレイル

Day2 Sallochy – Inverarnan

 お隣のフランス人カップルの笑い声で目が覚めた。男の子がおならをしては女の子がげらげら笑っている。そこまで近くにテントを張ったわけではないけど、おならの音までよく聞こえるな。テントに日が入ってまぶしい。よい1日になりそうだ。寝袋から這い出して、湖まで出る。まだ人はいない。思い切って着ていた服を脱いで水浴びする。遠浅の浜だったので寝転がって肩までつかる。冷たくて気持ちいい。これで目が覚めた。着替えを済ませてテーブルでお湯を沸かす。その間にテントから荷物を出してテントを畳み、木漏れ日に使って濡れた靴や服をあてる。昨日たくさん歩いた分、今朝はゆっくり朝食をとって、遅めのスタートになった。お隣のカップルはいつの間にか車でどこかへ行ってしまった。

水浴びもハイキングの醍醐味のひとつ

 二日目はほとんどLoch Lomond沿いのトレイルを歩く。この湖は長さが39km、幅が8kmになるグレートブリテン島でも最大級の湖だ。朝日の中歩いたトレイルは美しかった。隆起した土壌を苔が覆いブルーベリーの低木の葉が柔らかな緑に輝いている。トレイルは時々湖の際まで伸びて美しい水面の景色を見せてくれる。上手の崖からは、森を抜けた水が勢いよく湖に注ぐ。いくつもの小さな滝も目を楽しませてくれた。

天気も景色もよく言うことなし

 アップダウンのあるシングルトラックの道で、初日の荒野とは雰囲気がだいぶ違う。好みの道で歩いていて楽しい。が、とにかく長い。途中で見つけた小さなビーチでバックパックを下ろして長いお昼休憩をとる。水浴びをしてから服と靴を乾かす。マットを広げて少しだけ昼寝をした。広いビーチで何組か私と同じように休憩をとっていた。

お昼休憩をとったビーチ

 休憩の後3時間ほど歩き、立派なInversnaid滝を撮影したら大きなホテルのある岸に降りた。お城のような豪奢な建物だがとてもハイカー・フレンドリー。水も汲めるし、ハイカー用のスペースでは充電も可能だ。中のバーカウンターで、飲み物を軽食を買って休ませてくれた。小さな港を備えた岸には、ベンチとテーブルが置かれていて、ハイカーがバックを下ろしてくつろいでいる。ここもぜひ泊まってみたいホテルの一つだ。

Inversnaid Hotelで休憩。設備・サービスともに素晴らしい

 朝、午後の部を終えて、夕方の部に入る。だんだんと雲が増えてきたて小雨がぱらついてきた。Ardleishの港を通過するとトレイルは湖から離れて丘を昇る。長かったLoch Lomondのパートがようやく終わるようだ。

丘を超えてキャンプ場へ

 湖を離れて1時間ほど歩くとキャンプ場の看板が立っていた。iphoneで予約のメールを見て今日の目的地に着いたことを確認する。降り始めた雨の中でテントを立てる。Sallochyよりも大きなキャンプ場で、食堂やシャワーも完備。さっとシャワーを浴びて閉まる前に食堂でハンバーガーとビールを注文した。イギリスらしいバーカウンターがあってアルプスの山小屋とは雰囲気が違う。夕食をしっかり食べて気持ちよく眠くなった。

山と谷が織りなすハイランドの核心部へ

Day3 Inverarnan – Bridge of Orchy

早朝のキャンプ場。雨のせいでスタートは遅い

 雨。昨晩から降りそれが朝まで続いている。テントのサイドポケットに入れていた服も濡れている。ありがたいことに予報通り、9時過ぎに雨は弱くなり、タイミングを見計らってテントを畳んで出発の支度をした。この時に気がつかなかったのだが、大量の“ミッヂ”に囲まれて、顔、足、首など露出している肌全てを噛まれた。

キャンプ場を振り返る

 ミッヂはハイランドに生息するユスリカの一種。事前に情報は得ていて、防虫ネットも持って来ていたのだが、日本のユスリカに噛まれたことはなかったので油断していた。朝はテントを畳んでいる時に鬱陶しいな、としか思わわず、痛みやかゆみを感じなかったのだが、これが数日後に発症することになる……。出発は10時。キャンプ場に売店があったので朝食用にリンゴ、卵、牛乳を買ってすぐに食べた。

増水したFalloch川

 今日のトレイルはFalloch川沿いから始まった。昨日からの雨のせいですごい迫力だ。濁流が轟音を立てて流れている。トレイルに沿って国道と鉄道も伸びており、途中で線路下のトンネルをくぐって反対側に出たのだが、トンネルの中に排水された水で溢れていた。今日も服も靴もびしょびしょだ。

スコットランドの建築技術は産業革命にも寄与したそうだ

 北上してCrianlarichの村に降りる分岐についた。飲食店や売店もあるので一休みしようかと考えていたが、村へ行くのに少し距離があったので見送る。アルトラのローンピークを履いたカップルが、私がオリンパスを履いているの見て、「Artra shoes is Best」と声をかけてくれた。なるほど、水溜りの中をガシガシ歩いている。この気候だと確かに重たい登山靴よりも乾きやすいアルトラの靴の方が適しているだろう。

Crianlarichから山の麓を通る道。苔むした石の塀が美しい

 森を抜けて再び橋で川を越えて牧草地に出た。無人の宿を見つけて、長い休憩をとる。先にドイツ人の若いペアがいて、お昼を食べていた。運良く日が射してきた。そしてなぜか蛇口から熱湯が出てきた。この機会を逃すまいと、Tシャツと靴下をじゃぶじゃぶ洗ってから干した。貴重な陽射しだ。有効活用しなければ。ランチはお米とビーンズ、コンビーフ、そしてチーズ、サラミを混ぜ合わせる。豆の味付けが甘かったが、上出来。食後には牛乳を温めてカフェオレもつけた。こっくりして美味しい牛乳だった。

閉業中だろうか。玄関をお借りした

 午後からは湿地帯に入った。この湖沼地帯には、中世にハイランドの有力氏族“クラン”同士の戦いで敗れたRobert the Bruceが、剣を池に投げ入れたという伝説が残っている。池にはイラスト付きのパネルがあり、剣はClaymore(偉大な剣の意)というRPGに出てきそうな立派なデザインだった。スコットランドの歴史には明るくないが、静かな水面は伝説を想起させる神秘性があった。

剣の伝説が刻まれた石碑

 ヒースが咲く気持ちの良い道を歩いていたら日が出てきた。ハイカーも増えてここがTyndrumの近くだということが分かる。小川の流れる気持ちの良いキャンプ場で休憩したい誘惑に駆られたが、今日の目的Bridge of Orchyまではあと11km。日が出ているうちにテントを張ってしまいたいので、泣く泣く通過した。他のハイカーはほとんどTyndrumで行程を終えたようだ。ここも次回来た時に立ち寄ることにしよう。

小川の流が心地よいTyndrum

 キャンプ場の先で渡渉すると国道沿いにコンビニがあった。ここで夕方の部に備えて再び一服。忘れずに靴を脱いで日向に干す。同じようなドイツ人のペアがビールを飲んでいる。「ビール飲んでるから今日はもう終わり?」と聞くと「いや、Bridge of Orchyまで行くよ。ビールは最後のブースト」と笑っていた。私はレモネードとポテトチップスで済ませて、また一人でとことこと歩いた。

Tyndrumを超えて美しい谷の道をゆく

 Orchyまでのトレイルは、Beinn Odhar、Beinn Dorainと特徴的な山の裾を歩いた。なだらかにカーブする稜線が美しい。この谷は鉄道も走っていて遠くを走る車両はジオラマのようで可愛らしい。この時間帯は他のハイカーともすれ違わず、時々羊を見つけては写真を撮って遊んだ。牧場に立派なツノを生やしたアカシカが数頭紛れ込んで草を食べているが見えた。あちらも私が見えているらしく、こちらをじっと見て警戒していた。

Beinn Dorainは1033m。有名な詩にも唄われているそうだ

 トレイルと線路が近づいたな、と思っていると停車した電車から降りた人たちが歩いてきた。「これから歩いてどこに行くのだろう」と思いながら歩いていたらBridge of Orchyの駅に到着した。この駅にはホステルWest Highland Way Sleeper
が併設されている。評判がいいので予約しようとしたが満室だったので、ここではキャンプ泊となった。集落はとても小さく、A82沿いのBridge of Orchy Hotelが村の中心のようだ。Orchy川にかかる橋を渡っている時に向かいから歩いてくるハイカーに声をかけられた。「初日のSallochyでも一緒だったろ。ミッヂがあちこち噛んでくるけどキャンプサイトは川沿いにあっていいとこだよ」と教えてくれた。そういえば、昨日のキャンプ場でも隣だった。

駅名にもなっているBridge of Orchy

 雨の影響を考えて川から離れた場所にテントを張った。夕方も雨。とても外で食べる気にはならなかったので、この日はBridge of Orchy Hotelのトイレでさっと手や顔を洗ってそのままホテルで夕食を摂ることにした。暖かくて乾いた空間のありがたさが身に沁みる。頼んだのはスコットランド料理のハギスのコロッケと豚肉のロースト。食後にはウイスキーを一杯いただいた。隣に座ったイスラエル人女性が昔日本に住んでいたとかで、声をかけてくれた。息子さんと二人でWest Highland Wayを歩いているそうだ。

 暖かなホテルからヘッドライトをつけて湿った寝床に帰る。Orchy川の音が心地よく眠りに誘ってくれた。